FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年3月11日放送

今回のお客様は『松阪市立歴史民俗資料館』館長の村山祈美さんと杉山亜沙佳さん。
とっても素敵な空間でお2人はお仕事されています。
松阪市立歴史民俗資料館は、明治44年に飯南郡の図書館として建てられたもの。
昭和53年に新しい図書館が建てられそのあと、この場所へ移築されました。昔からみなさんに愛されてきた建物です。
建物は男子閲覧室、女子閲覧室と分かれていて左右対称になっていたり、入り口のガラスは当時のものもあったりと、じっくりと見たくなるものばかり。
その歴史民俗資料館に展示されているものをご紹介していただきましょう。

阪木綿や伊勢白粉の展示

村山 『松阪市立歴史民俗資料館』で展示しているのは、松阪商人が江戸で商売をするきっかけとなった『松阪木綿』に関する資料。
機織り機から木綿の縞帳など、木綿に関する道具類が展示してあります。
それから伊勢白粉や水銀に関する資料も展示しています。
木綿と白粉、水銀が、松阪商人が発展する足がかりとなったものなので、このあたりをぜひ見てもらいたいですね。

 

勢白粉のお話し

杉山 このあたりで作られていた白粉を『伊勢白粉』と呼ぶのですが、もともとは多気町の丹生で採れる水銀を、松阪市の射和町に運び、そこで水銀を使って白粉を作っていました。
当時の製造場所の写真をパネルで展示していますし、製造道具なども展示しています。
松阪市内には白粉町という地名もあり、そこでも作られていましたが、メインは射和町だったようです。

村山 射和という地区は祇園祭があったりと、松阪市の中心とはまた違う文化があります。
松阪は旧城下町は紀州藩の飛び地になるのですが、射和の方は鳥羽藩の飛び地になり、藩が違うということでやはりそれぞれ文化が少し違うところがあると思います。
歴史的に言うと、射和のほうが松阪の商人グループよりも歴史的に古いので、先に発展していった。
松阪商人、前述したように旧城下町グループと射和グループに分かれていて、最終的に城下町グループのほうが店などが大きくなりました。
が、松坂城下町グループ・射和グループ、双方現在でも東京で活躍しているお店がたくさんあります。

 

在開催されている『餅の博物館展』

村山 1月28日から5月14日まで、松阪商人長谷川家の11代当主、長谷川可同が集めた餅に関するコレクション、『餅の博物館展』を開催しています。
3月に一部内容を入れ替えますが、餅に関する資料をずっと展示しています。
長谷川家は火災に遭っていないので、江戸時代の資料が大量に残っていたんですね。
松阪商人のことを知ってもらうために一番良いと思います。

11代目の長谷川可同さんは全国各地、北海道から沖縄までの餅に関する資料を収集しました。
食べる餅だけでなく、浮世絵や器物、古文書まで、色々な物を集めて、大正8年から昭和16年頃まで博物館をしていたようです。
当時でも全国でも長谷川さんしかしていなかったと思いますし、今でも餅の博物館というのは聞いたことがありませんので、非常に珍しいのではないでしょうか。

 

に関する心意気や遊び心を見てもらいたい

村山 パネルにしてある写真ですが、よく見ると、ありとあらゆる装飾を餅に使っています。
そのあたりに昔の人の『粋』や『心意気』みたいなものを感じ、そして見てほしいなと。
屋根の上に鏡餅の瓦が乗っていたり、障子の取っ手が臼の形になっていたり、お餅屋さんの看板を箸に使っていたり・・・遊び心が満載した建物だったんです、その博物館は。
もうひとつ見ていただきたいのは、餅札集。
明治30年頃から大正末期にかけて集められた全国各地のお餅屋さんの包装紙。
商標などですが、お餅屋さんの包装紙を張り詰めた本を、長谷川さんが15冊作られました。
多分、何万点とあると思うのですが、東京で先日、今も営業しているお店を調べたところ、かなり残っていました。
企画展には県外の和菓子屋さんが来て、ご自身のお店の餅札をじっくりと見ていることもあります。
今の時代でもはがれることなく、きっちりと餅札が貼ってあり、その餅札は
長谷川さんの性格を表すよう、歪むことことなくまっすぐです。

 

調

べれば調べるほどおもしろい

村山 調べれば調べるほどおもしろいということがわかってくるんですよ。
『餅屋(もちのや)』という建物もそうなんですけど。
長谷川さんの家は本居宣長の生家の鈴屋の近くにありまして、その名の真似をして『餅屋』と名付けたらしいです。
鈴屋をかなり意識していたそうですね。
今の場所は日曜日と祝祭日は自由に見ることができますし、団体向けに公開する日もありますので、事前に長谷川邸などに問い合わせて申し込んでみてください。
長谷川家はもともと木綿問屋で、松阪の木綿を、江戸は日本橋の大伝馬町で問屋として商っていました。
大きな財を成し、江戸の富豪のランキングに入るほどだったそうです。
松阪商人の特徴として、主人が松阪にいて、お店が江戸にあるということが多かったらしいですね。
ある意味、危険を分散するという意味もあったそうなんです。
江戸時代は火事が多かったので、江戸のお店が焼けても松阪に資本が残されているとか、そういう目的があったそうです。

杉山 昔の人はいろいろ資料やものを残しており、特に長谷川家の餅に関する資料も1つの蔵にキチッと収められていました。
状態もとても良く、資料自体が今見ても面白いものがたくさんあるので、ぜひ見てほしいと思います。